丘の上の桜

 

 昔むかしのお話です。

 

 丘の上を年老いた旅の坊様が歩いていました。海に沈む夕日が、咲きほこる桜の花を赤く染めていました。

 「今夜はどこにとまろうか。」

  ふと見ると、道の傍らで、おばあさんがお地蔵さんに花を手向けていました。

 「もうしもうし、旅の僧ですが、このあたりに泊めてもらえるところはありましょうか。」

 「あいにく、ここには旅人を泊める宿はありませぬ。何もないが、うちにお泊りくだされ。」

  坊様はおばあさんの家に泊めてもらいました。囲炉裏端で温かいおかゆを食べているうちに、坊様は眠ってしまいました。

  目を覚ますと、不思議なことに坊様は赤ん坊になって産湯につかっていました。

 「かわいい女の子じゃ。」

  大勢の人にかわるがわる抱っこされているうちに、坊様は自分が誰であったか忘れてしまいました。赤ん坊は裕福な家の一人娘として何不自由なく育ちました。

 十六になった春、娘は丘の上から海を眺めていました。桜の花びらが春の光を浴びてキラキラと風に舞っていました。

 「このあたりに宿屋はありますか。」

 娘がふり向くと、旅姿の青年が立っていました。

 「宿屋は隣の町までいかないとありません。」

 「残念だな。海があんまりきれいだから、しばらくここにいようと思ったのに。」

  立ち去ろうとする青年に、娘は言いました。

 「よかったらうちに泊まりませんか。空いている部屋もあるし、父もお客がくるのをよろこびますから。」

  しばらくの間、青年は畑仕事を手伝いながら娘の家に泊めてもらいました。青年と娘はだんだん仲良くなりました。

  ある日、青年あてに一通の手紙が届きました。手紙を読む青年の顔がにわかに曇りました。丘の上で青年は娘に言いました。

 「海の向こうで戦が始まりました。私は行かなければなりません。でも、きっと帰ってきてあなたを迎えに来ます。待っていてくれますか。」

  娘は頬を桜色に染めながらうなずきました。

  戦は長く続きました。娘の村からも大勢の若者が海の向こうの戦場へいきましたが、帰ってくるものはほとんどいませんでした。

  娘はずっと青年を待っていました。年頃になった娘にはたくさんの縁談がありましたが、娘は首を縦に振りませんでした。

  娘の友達は、みんな遠くへお嫁に行ってしまいました。

  両親も亡くなって、娘は独りぼっちになってしまいました。

  来る日も来る日も、娘は丘の上で海の向こうを眺めていました。

 やがて、娘の髪は白くなり、手はしわだらけになって、丘に登る足元もおぼつかなくなりました。娘はもうほとんど見えない目で海の向こうを眺めていました。桜の花びらが雪のように娘の白い髪に降りかかりました。すると、娘の体がだんだん固くなって動かなくなりました。楽しかった昔の記憶が娘の頭を通り過ぎると、娘は石になっていました。

 桜の花びらが降り積もって石を埋めていきました。

 

 「坊様、そんなところで寝ていると風邪をひくぞ。」

  坊様が目を開けると、野良着を着て鍬を持った男が坊様の顔をのぞき込んでいました。

 「私はおばあさんの家にとまっていたはずだが。」

 「婆さんの家?ああ、確かにこの近くにあるが、婆さんは去年の春に亡くなったよ。坊様、夢でも見たんじゃないか。婆さんはずっと独り身でね。言い交した男が戦場から帰るのを待っていたらしいが、戻ってこなかったそうだ。子供たちに字を教えながら細々とくらしていたんだが、身寄りがなくてね。昔の教え子たちが葬式をだしたんだよ。そうそう、あのお地蔵さん、教え子たちが婆さんの若い時の顔に似せて作ったんだ。優しい先生だったそうだよ。」

  お地蔵さんには娘の面影がありました。

 「ゆるしておくれ。」

  坊様はお地蔵さんを抱きしめて泣き出しました。

 「人が殺しあうむごい戦で、私は俗世で生きていくことがいやになった。戦場で亡くなった戦友たちを弔い、残された家族に形見を届けているうちに、こんな年寄りになってしまった。あなたが私をずっと待っていてくれるとは思いもしなかった。ゆるしておくれ。」

  坊様の涙がお地蔵さんの頬を伝いました。お地蔵さんは目をつぶったまま、静かに微笑んでいました。