もち
日曜の朝七時、携帯電話が鳴った。
「もしもし、あ、寝てた?ごめん。今日の午前中着で宅配便送ったから、受けとってね。」
「かあちゃん、俺、今日出かけるんだよ。」
「もう送っちゃったんだもの。しょうがないでしょ。じゃあね。」
相変わらず母は勝手だ。明日から仕事で一週間、家を空けるのに。今日受け取るしかない。まあ、いいか。約束は午後だしな…。
ところが、昼の一二時を過ぎても宅配便は来なかった。約束の時間まで、あと三十分。もう、間に合わない。俺は携帯電話を取り出した。
「あ、俺だけど、ごめん、今日いけなくなった。落ち着いたらまた連絡するから。」
「また仕事?」
「いや、急に家を空けられない事情ができて。」
「…女ね。」
「まあ、女といえば女だが…。いや、そういう意味じゃなくって。」
「この前も仕事じゃなかったんでしょ。」
「いや、この前はほんとに仕事だったんだ。」
「この前は、って、じゃあ、その前は仕事じゃなかったのね。いつも嘘ばっかり。もう私、疲れたわ。さよなら。」
電話が切れた。かけなおしてもつながらなかった。
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けると、大きな荷物を抱えた宅配便の配達員が、申し訳なさそうに作り笑いで言った。
「遅れてすみません。年末で道路が混んじゃって…」
呆然と立ち尽くす俺の横にミカン箱の段ボールの荷物を置いて、配達員は去っていった。荷物のガムテープをはがすと、中から日本酒の瓶が出てきた。
「なんで、あと十分早く来ないんだよ。」
俺は日本酒の瓶を開けるとラッパ飲みした。すきっ腹に入れた酒で、一気に酔いが回った。何か食べないと。荷物の中を見た。せんべいに、米、切餅。なんだ、全部米製品じゃないか。いくらうちがコメ農家だからって。そういえば高校の時、友達が言ってたな。おまえんちコメ農家だから、お前の恋は春に芽生えて秋に枯れるんだ、って。あの頃と何にも変わってないな。餅でも食うか。切り餅の袋ををやぶろうとした、そのとき。
「やめて」
若い女の声がした。テレビの音かな。もう一度破ろうとすると、
「やめてったらやめて。わたし、食べられたくないの。」
餅がしゃべっていた。
「なんで餅のくせに食べられたくない、なんて言うんだよ。」
もちは泣きながら言った。
「私だって、好きで餅になったわけじゃないわ。ほんとは稲になりたかったのよ。こんなはずじゃなかった。うちに帰りたい。」
餅はさらに激しく泣いた。
「うちってどこだよ。」
「餅工場の近くの田んぼよ。」
袋に書かれていた工場の場所は、実家の近くだった。
「わかったよ。再来週に家に帰るから、その時つれていってやるよ。」
もちはようやく泣き止んだ。
大晦日、俺は餅をポケットにいれて実家に帰った。家では両親と近くに住む姉一家が待っていた。
「まあ、一杯飲め。」
家族で酒が飲めるのは父と俺だけなので、父は嬉しそうだ。母が姉夫婦と子供たちに汁粉を注ぎながら言った。「あんたの分も残してあるからね。」
酔っぱらって部屋に戻ると、餅が言った。
「人間って、いいわね。大人になってもお父さんとお母さんがいて、子供たちにも会えてえて…。ねえ、私を食べて。」
「急に何を言い出すんだよ。」
「あなたに食べてもらったら、わたし、あなたの一部になって人間になれるんだわ。ねえ、お願い。私を食べて。」
「本当に、いいんだな。」
「いいわ。」
俺は台所へ行って、汁粉の鍋を火にかけると、餅をあぶった。餅はほんのりと色づいた。俺は餅を煮立った汁粉に入れた。餅を椀にもって、箸でつまんだ。もう、餅はなにも言わなかった。俺は餅を嚙んで飲みこんだ。餅はのどを通り過ぎる感触を残して、俺の中に溶けていった。
それから何年かたって、父が倒れた。俺は売れないライター稼業に見切りをつけ、実家に帰って稲作農家を継いだ。ついでに近所から嫁をもらった。ま、年貢の納め時ってやつかな。次の年には娘が生まれた。今日は正月早々なのに、母と嫁は二人とも同窓会とやらで家にいない。最近歩き始めた娘のおもりは大変だ。やっと寝てくれた。このすきに酒を飲もう。
酔っぱらった俺の横で、娘が突然目を開いてしゃべりだした。
「やっと歩けるようになったわ。動き回れて、人間っていいわね。」
聞き覚えのある声だった。
「あなたに食べてもらえてよかったわ。人間になれたし、家にも帰れたし。」
そう言うと、娘はにっこり笑って目を閉じてまた眠った。
俺は数年前の大晦日の夜を思いだした。もしかして俺、餅にはめられたのかな。まあ、いいか。俺は餅のような娘のほっぺたを突っついた。