えのころぐさ          

 

 秋の野原は、えのころぐさでいっぱいでした。金色の穂が、子犬のしっぽのように風に揺れていました。遠くの山すそで、銀色のススキの穂がおいでおいでと手招きをしていました。

 小さな男の子が、しゃがんで赤まんまの花を摘んでいました。一緒におままごとをしているお母さんに、お赤飯を作ってあげるのでした。

 茶色い子犬が走ってきて、男の子に向かって吠えました。男の子は泣きながらお母さんの陰に隠れました。男の子の手から小さな赤まんまの花がパラパラとこぼれおちました。

「この犬は人懐っこいから噛みついたりしないよ。ぼうや、弱虫だな。」

 飼い主のおじさんが笑いながら犬を連れていきました。

 男の子は震えながら左手で頬を触っていました。怖い時の男の子のくせでした。お母さんはえのころぐさを一本抜くと、金色の穂で男の子の額をなでながら言いました。

「金のしっぽでくすぐって

 カラスが泣いたら夜が明けた

 ほら、もうこわくないよ。」

 男の子は泣き止みました。けれど、弱虫という言葉は男の子の心から消えませんでした。

 

 男の子は大きくなると、強くなりたいと思っていろいろな武術を習いました。何年かたつと、男の子は国中で一番強い男になっていました。やがて隣の国と戦争が起こると、男の子は軍隊に入って隣の国へ行きました。そして、何年たっても、何十年たっても、男の子は帰ってきませんでした。

 

 お母さんは男の子をずっと待っていました。お母さんの中では、男の子はいまでも小さな坊やのままでした。坊やは迷子になったのかもしれない、と、お母さんは男の子を探しに行きました

「迷子になったうちの坊やを知りませんか。」

 お母さんはあちらこちらで聞いて回りました。でも、知っている人はだれもいませんでした。

 

 何年も何年もさがしているうちに年を取ったお母さんは、自分が自分の死ぬときが近いことに気付きました。諦めたお母さんはふるさとへ帰りました。男の子とおままごとをした野原で、えのころぐさが風に揺れて、山裾のすすきが手招きをしていました。

 のはらの向こうから、大勢の人が走ってきました。

「怪獣がくるぞ、はやく逃げろ。」

人々は我先にと逃げていきました。年老いたお母さんに走る力はもうありませんでした。

遠くに見える小さな黒い塊が、だんだんと大きな岩のようになって近づいてきました。黒い岩山のような怪獣が、火を噴きながら叫んでいました。

「わたしが小さく弱かったとき、人は私を弱虫と言って嘲笑った。私が大きく強くなったとき、人は私を恐れてさけるようになった。いったいどうすればよいというのだ。」

 怪獣の目から血の涙が流れていました。怪獣は左手で頬を触っていました。

「怖い時、坊やはよく左手で頬をさわっていた。あれは坊やだわ。」

 おかあさんは足元のえのころぐさを一本ぬくと、金色の穂で怪獣の足をなでながら言いました。

「金のしっぽでくすぐって

  カラスが泣いたら夜が明けた

  ほら、もうこわくないよ。」

  すると、怪獣はしゅるしゅると縮んで、お母さんが探していた小さな男の子に変わりました。お母さんのしわしわの手が、男の子の小さな手を握りました。

 「おうちへかえろう。」

 「うん。」

  お母さんと男の子は手招きするすすきのむこうに消えていきました。

 

  それからその親子を見たものはありませんでした。ただ、えのころぐさをゆらす風の音に、小さな男の子のくすぐったそうな笑い声が聞こえることがあったということです。